・商品説明 【重要必読】商品に関する詳細な注意事項はこちら 江戸時代は火打金職人が手造りで一つひとつ「たたき」、「なまし」てつくっていましたが、今は野鍛治の職人はいても火打金職人はいないためプレスで切り抜き加工をしています。
しかし原料となる鉄だけは、今でも「たたら製鉄方」で製鉄されています。
下の写真は伊勢公一商店のたたらの釜です。
・詳細画像 / スペック ◆セット内容◆ ・吉井本家の火打金3.5号×1枚入り ※火打金は着火の打撃テストを何回も行っていますので、はじめから傷が付いています。
現在は5種類の大きさの丹尺型(短冊型)の火打金が製造されています。
鉄の削れる面積が大きいほど火口に種火が付きやすいため、火打金は大きいほど使いやすく、小さいほど着火の難易度があがります。
火打金の出現 今から約2000年前の弥生時代に大陸から鉄の製品が伝わってきました。
発掘出土資料から、火打金の使用は古墳時代後期(7世紀頃)に発見さています。
群馬県高崎市吉井町で火打金が確実に使用され始めたのは、平安時代(9世紀)に入ってからです。
形は横長三角形の山型です。
江戸時代以降の火打金 江戸時代に入ると、機能別に火打金の種類が増加します。
一つはカスガイ形と呼ばれるタイプのもので、木板に鉄の突出した部分を打ちつけた火打金です。
これは蒸し炭(消し炭)の入る火打箱と一緒に一般家庭で使用されました。
上の写真は「あかりの資料館」の実物です。
他に短冊形と呼ばれる柄の付かない火打金が出現しました。
これは用途に応じて大中小の種類があります。
また前代からある山型には、三角の裾部を細くねじり上げて頂部で結んだネジリ形と呼ばれるタイプが新たに出現します。
短冊形やネジリ形は2〜3cmの小型品が多く、 道中の旅人が持ち歩く際の携帯用火打金として使用されていました。
下の写真は、150年前の吉井本家のネジリ型火打金で、僕のコレクションです。
火打金には鏨(たがね)で「本吉井」の文字が刻まれています。
江戸時代の火打金にはカスガイの柄部に焼印や鋼部に鏨銘(たがねめい)を入れたものが多く、これから生産地を特定できます。
中でも「上州吉井」の銘が圧倒的に多く、群馬県高崎市吉井町が火打金の特産地であったことが確認できます。
吉井宿と火打金 吉井町の中央を東西に走行する国道254号線は別名「姫街道(ひめかいどう)」と呼ばれ、江戸時代には埼玉県本庄から中仙道と分かれる脇往還(わきおうかん=裏街道) として栄えました。
取締りの厳しい中仙道の碓氷峠の関所を避け信州へ向かう旅人や商人、善光寺詣りに行く一般の人々に多く利用されました。
姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中土産として「火打金」を買い求めました。
火打金が特産物として有名になった吉井宿は、『西の明珍(京都)、東の吉井』と呼ばれるほど江戸で評判となり、吉井宿は市場として賑わいをみせ全国にその名を誇っていました。
下の写真は「あかりの資料館」にある明珍(京都)のカスガイ型火打金です。
なお吉井の火打金の始まりは、江戸時代初頭に武田信玄の配下の子孫「近江守助直」という刀鍛冶人が火打鎌を作ったことだと言われてい ます。
その流れを受け継ぐものが町内に多くうまれました。
福島家、岡田家、横田家以外にも火打金職人や鍛冶職人、鍬柄職人らが数十人いたことがわかっています。
特に中野屋一族の製品はブランド品で、全国各地で人気を博しました。
中野屋一族の火打金の鋼には「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作一」などと刻まれ、木柄の部分に 「吉井本家請合」などの焼印をする特徴がありました。
しかし明治時代に入るとマッチの国産化により火打金の消費が落ち込み、明治30年頃を境に製造が中止されました。
キャンプ愛好家、とりわけサバイバルキャンプやソロキャンパーの間で火打金による火起こしが増えています。
しかし現在は「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法が主流で、ナイフでマグネシウムを打撃することでマグネシウムから大量の火花を飛ばします。
野宿の匠シリーズは、江戸時代から昭和初期までの約400年間、庶民の間で続いた日本古来の伝統的着火方法を可能にします。
日本古来の着火方法は『火打石で火打金を削る』方法のため、「火打金でマグネシウムを削る」西洋の着火方法とは全く逆になります。
そしてたった一粒の火花が火口に落ちれば、火種ができます。
火花から火種へ 火口(ほくち)とは火花を受け止め火種に変える炭の一種で、蒸し炭とも呼ばれます。
焚火などで燃えた木は「オキ」になり、そのまま空気中において置くと灰になります。
オキを蓋付きの容器に入れ酸素不足の状態をつくると炭素の状態になり、これが蒸し炭です。
火口はどんな 植物からでもつくれますが、植物によって火の付き方が異なるため、火の付きやすい種類の植物を選ぶ必要があります。
火打金が使用されていた時代は、蒲(ガマ)の穂、コケ、モグサ、スギ、ブナなどの朽木から火口をつく っていました。
これらを火口として使用できる状態にするには、ひと工夫必要です。
これは蒲の穂の写真で、ガマは湿地帯に生える植物です。
火花の付きを良くす るために蒲の穂などの火口には硝酸を入れて加工します。
また火口が湿っていると火種が出来ないため、乾燥に 大変気を使う必要があります。
硝酸カリウムは爆薬の原料となるため、現在は薬局で購入することはできません。
火種から炎へ 火打金が使用されていた時代は、火種を炎に変えるために『 付け木(つけぎ)』と呼ばれるものを使用していました。
付け木(つけぎ)とはヒノキやスギを薄く削った「ヘギ」の先端に溶かした「硫黄(いおう)」を付けたもので、引火すると青い炎が燃え出します。
江戸時代には付け木は一束にして販売され、各家庭の火打箱や付け木箱の中へ小分けにして置かれていました。
下の写真は「あかりの資料館」にある昭和初期に実際に使われていた付け木です。
■眼鏡 火打石で火をつけるときは、眼鏡をかけてください。
普段眼鏡をかけない方は、100円均一ショップなどで販売されているサングラスや花粉対策用の眼鏡などを着用してください。
■手袋 火打石と火打金で指を挟んだり切ったりする可能性があるため、手袋の着用をおすすめします。
■服装 火花が飛んだ時に軽いやけどをする可能性があるため、長袖・長ズボンの着用をおすすめします。
■対象年齢 18歳以上となります。
それ以下のお子様については、大人が同伴するか教育指導者の指導に従ってご利用ください。
・ブランドライセンス情報 (このブランドの全商品とブランド説明を見るにはこちら) この商品は、山口工業「あかりの博物館」指出朋一館長、 群馬県キャンプ協会一級キャンプディレクター丸山博先生、伊勢公一商店牧内和正社長、中嶋義明氏など多くの方々のご支援・ご指導のもとにMIXXが開発したオリジナル商品です。
P,R=J U=m
楽天で購入2,970円(税込み)